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セム・ハム諸語[アフロ・アジア諸語]を巡るNDCの美学 [小ネタ集]

セム・ハム諸語[アフロ・アジア諸語]を巡るNDCの美学

改訂版を以下のサイトに掲載しました。


共通テーマ:学問

聖地巡礼-癒しの聖水を求めてNYブルックリンへ- [小ネタ集]


聖地巡礼-癒しの聖水を求めてNYブルックリンへ-

1:はじめに

2014年の夏に初めてNYを訪れた。旅の目的は、

 (1)メトロポリタン美術館の見学
 (2)聖地で癒しの聖水を拝受
 (3)ANAのマイルとプレミアムポイントの獲得

の3つであった。今回は(2)について語ろう。

2:聖地での出会い

地下鉄のBedford Avenue駅から7分ほど歩くと聖地の建物が見えてくる。倉庫のようなたたずまいのBrooklyn Breweryである。

DSC03730.JPG

Brooklyn Brewery

晩夏とはいえ十分に暑く、炎天下に徒歩苦行を強いられた体は、聖地での水分補給を欲していた。

しかし、聖地巡礼は険しかった。入館するとすぐに工場内の巡礼ツアーへと導かれる。これも聖地の楽しみの1つとして受け入れ、聖水摂取をしばし我慢し、ツアーに参加することにした。凝った仕掛けがあるわけでもなく、平凡な具合で巡礼ツアーが進行していく。

DSC03708.JPG

巡礼ツアーがようやく終了すると、天女が待ち構えていた。彼女に規定額のお布施をすると、額に応じた個数だけトークンが手渡される。そのトークンを持ち、聖水を配給する天使のもとに赴く。渡されたのは、黄金に輝く聖水と琥珀色の聖水だ。信者達の専門用語によれば、これらの聖水はそれぞれGolden AleDark Aleと呼ばれる種類に属している。

DSC03720.JPG.JPG

聖水の摂取により、喉も心も癒され、いよいよ聖地を後にしようとしたところ、屋舎の壁に聖刻文字が書かれているの発見した。

DSC03723c.jpg

Beer has dispelled the illness which was in me.”
 Late Egyptian, translated by Dr. Kent Weeks

「私の中にあった病をビールが取り除いてくれた。」
新エジプト語。ケント・ウィークス博士による翻訳

ビールと聖刻文字碑文ですっかり癒された私は、聖地での清めを満喫し、ブルックリンを後にした。

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注意:以下の話ではエジプト語の知識が必要となるばかりか、それなりに長文となります
===================================================

 3:出典詮索の旅

帰国後、ブルックリンで見た聖刻文字テキスト(以下、ブルックリン碑文)の出典を詮索することにした。

まず、ブルックリン碑文の転写・グロス(語釈)・全訳を記しておこう。

rwi 取り除く.完了
H(n)q.t ビール.女性単数
pA 定冠詞.男性単数
mr 病.男性単数
i.wn 分詞-存在する.完了>関係詞.過去
im に.前置詞
=i 私.1人称共通性単数

「私の中にあった病をビールが取り除いてくれた。」

この文言は、

 (1)定冠詞pAが使用されている
 (2)分詞に形態素i.が付加されている
 (3)rwi, wnの綴りでZ4やZ7が表記されている

という語彙・形態・表記上の特徴を持つ。このことから、ブルックリン碑文の元資料が

 (A)新エジプト語

であることがわかる。ブルックリン碑文の下に英語で書かれていた“Late Egyptian”という注釈は正しいことになる。

新エジプト語ということで文字種はほぼ確定するのであるが、上記の特徴(3)により、元のテキストが

 (B)神官文字

で書かれていたことが確実となる。また、これらのことから、

 (C)右横書き

の資料だということも判明する。つまり、ブルックリン碑文の出典が新王国時代に書かれた神官文字資料(右横書き)であるという情報を、ブルックリン碑文そのものから読み取ることができるのである。

この上で、出典を探しにかかる。

まずは安直な方法を選択し、ググってみることにした。すると、聖地の公式web siteが易々と見つかる。

FROM THE PRESIDENT: NEW ART ON THE BLOCK
http://brooklynbrewery.com/blog/news/from-the-chairman-new-art-on-the-block/

ここには翻訳者の情報などが記されているものの、出典についての記載が見られない。さらにググってみるとブログの書き込みなども見つかるが、やはり出典の手がかりを得ることができなかった。

そこで正攻法を選択し、専門書から出典を探すことにする。最初に使用する工具書は、新エジプト語の辞書である。

Lesko, Leonard . H. ed. & B.S. Lesko eds. (2004) A Dictionary of Late Egyptian. 2 vols. Providence: B.C. Scribe Publications.

では、どの単語を引くのか。

定冠詞や前置詞などの機能語は例数が多いので当てにならず、ヒントが得られるのは意味語である。ブルックリン聖刻文字テキストではrwi「取り除く」、mr「病気」、Hnq.t「ビール」が鍵になりそうだ。

最初にrwiを引くと、連句を除き13件の掲載があった。だが、例の文言と同一の綴りを持つ例は1例も記載されていない。

そこでmrを引く。全体で3件の掲載があり、同一の綴りが1例記載されていた。

その典拠を見ると LRL 5V19 と記されている。これは2次資料の文献と単語の掲載箇所を示したものであるのだが、その表示法がやや独特である。

最初のLRLは、以下の書物の略号である。ここまでは簡単。

Černý, Jaroslav (1939) Late Ramesside Letters. Bibliotheca Aegyptiaca IX.  Bruxelles: Édition de la Fondation Égyptologique Reine Élisabeth.

次の5V19がややこしい。最初の5はLRLに掲載されている5番目の資料という意味。そしてV19はVerso(裏面)の19行目を示す。ちなみに表面の場合はR=Recto。

LRLの5番目に掲載されている資料は“Papyrus Leiden I 370”。ということで、書斎からLRLを取り出して、該当箇所を確認したところ、以下のような記載があった。

mtw 継続法
=k あなた.2人称男性単数
Dd 言う.不定詞
n
imn アメン神.男性単数
i.rwi 命令法-取り除く
pAy この.男性単数
mr 病.男性単数
nty 関係詞
im 前置詞
[=i] 私.1人称共通性単数

「『私の中にあるこの病を取り除いて下さい』と、あなたがアメン神に
    お伝え下さいますように。」

この記載は、残念ながらブルックリン碑文と同一ではない。

そこで仕方なくrwiに立ち戻り、13件の用例をすべて調べてみたのだが、空振りに終わった。

こうなると、次はHnq.t「ビール」しかなさそうだ。Leskoの辞書でHnq.tを調べると7例が掲載されている。しかし、ブルックリン聖刻文字テキストと同一の綴りは1例もない。ちなみに7例の2次資料の内訳はLRL2件、LEM2件、LES1件、その他2件である。

4:出典詮索の高度な戦略

“Papyrus Leiden I 370”の記載は、ブルックリン碑文と類似した表現であったが、同一ではなかった。そこで、資料の詮索を継続することになったわけだが、ここまでくると、次は高度な戦略を採ることができる。

“Papyrus Leiden I 370”は、書記トトメスが書記ブウテハアメンならびにアメンの歌い手シェドエムドゥアに宛てた書簡である。書記トトメスは病を患っているようで、書記ブウテハアメンに対して、自分の病を治癒させるべく、アメン神への祈祷を嘆願している。

だとすれば、ブルックリン碑文は、無事に病が癒された旨をトトメスがブウテハアメンに伝えるものであるのかもしれない。このように仮定し、トトメスがブウテハアメンに対して啓上した書簡を探すことにする。

書簡の聖刻文字転写は、先に記したČerný, LRLに掲載されているので、これを使ってコツコツと調べればよいのだが、それも面倒なので、別の工具書を活用する。それは、Černý, LRLに掲載されている書簡に関する研究書である。

Wente, Edward Frank (1967) Late Ramesside Letters. Studies in Ancient Oriental Civilization 33. Chicago: The University of Chicago Press.
https://oi.uchicago.edu/research/publications/saoc/saoc-33-late-ramesside-letters

Wente (1967)によれば、“Papyrus Leiden I 370”(=書簡No.5)はラメセス11世の治世年「誕生の繰り返し」の6年目以降に記された書簡である。送り手はトトメス、受け手はブウテハアメン。そこで、これ以降に書かれた書簡で、なおかつトトメスからブウテハアメンに宛てられたものを探すと、時代順に書簡No.4, 3, 2, 50, 9, 10であることが、Wente (1967)によって判明する。

ここで再度、Leskoの辞書のHnq.t「ビール」を確認すると、LRLの2例は書簡4(4R7)と書簡9(9R12)である。だとすれば、この2例を確認すれば、元の資料が見つかるかもしれない。

こうなれば2つの書簡を目視で確認すればよいだけだが、それも面倒なので、Wente (1967)のPDF版を使って訳語の“beer”を検索することにした。

すると、書簡9に“Now it (i.e. the beer) has removed the illness which was in me.”という表現を見いだすことができた。

ビンゴ!これが元資料であろう。やはり、トトメスは病を治していたのだ。しかも、ビールの力で。

5:原資料の確認

書簡9の記載によれば、トトメスは上司と一緒におり、パン5つとヌウ壺1つ分のビールが毎日与えられたという。彼は、ビールを飲んで癒されたようで、次のように記している。

聖刻文字翻字(Černý, LRL, 9R12)
DSC07121d.jpg 

転写・グロス(語釈)・全訳は次の通り。

xr そして
srwi 取り除いた.完了
=s それ.3人称女性単数
pA 定冠詞.男性単数
mr 病.男性単数
i.wn 分詞-存在する.完了能動>関係詞.過去
im に.前置詞
=i 私.1人称共通性単数

「そして、私の中にあった病をそれが取り除いてくれた。」

お気づきであろうか。書簡9の動詞はrwiではなく、srwiである。また、文の主語は接尾代名詞=s (3人称女性単数) となっている。この=sは、この箇所の少し前に書かれているH(n)q.t「ビール」(女性単数名詞) を指す。ブルックリン聖刻文字テキストの元ネタが書簡9であったとしても、両者にはいくつか違いがある。

ちなみに、本資料の訳については、前掲のWente (1967)に加え、以下のものもある。

Wente, Edward Frank (1990) Letters from Ancient Egypt.  Society of Biblical Literature Writing from the Ancient World Series Volume 1. Atlanta, Georgia: Scholar Press.

さて、ここで満足していたのでは文献言語学者としては失格だ。というのも、Černý, LRLは聖刻文字翻字を掲載したものであるので、原資料そのものの資料集ではないからだ。そこで、原資料の神官文字にアクセスしてみよう。

Wente (1967)によれば、書簡9はラメセス11世の治世年「誕生の繰り返し」の11年に執筆されたもので、このパピルスは現在、大英博物館に所蔵されている。その整理番号はBM EA 10326である。

BM EA 10326を含め、LRL掲載のパピルス書簡のモノクロ写真は、次の著作に収められている。BM EA 10326の写真はPlate 37である。

Janssen, Jac J. (1991) Late Ramesside Letters and Communications. Hieratic Papyri in the British Museum VI. London: British Museum Press. 

Janssen (1991)が手元にあればそれなりに仕事ができる。しかし、原資料のカラー写真を見てみたいものだ。

幸いにして大英博物館は、かなりの数の資料について、写真を公開してくれており、BM EA 10326の情報と写真は以下のページに掲載されている(なお、大英博物館のweb siteでは、リクエストを出すと、もう少し解像度の高いjpeg画像を無料で提供してくれる)。

BM EA 10326
http://www.britishmuseum.org/research/collection_online/collection_object_details.aspx?objectId=119540&partId=1&searchText=late+ramesside+letter&page=1

BM掲載のカラー写真を確認すると、書記トトメスの実際の書き振りがわかる。

神官文字(BM EA 10326)
hiera.jpg

聖刻文字翻字 (Černý, LRL)
DSC07121d.jpg

Černý, LRLに掲載されている聖刻文字翻字を見ると、 文字がある程度明瞭に残っているとの印象を受けるが、実際の原資料では、運悪く12行目で欠損が激しく、i.wn以下の文字の判読が特に難しい。また、ここでは神官文字と聖刻文字を出さないが、BM EA 10326に書かれている「ビール」の表記は、ブルックリンの文言に記されていたものと異なっている。Leskoの辞書でHnq.tを調べた結果、ブルックリン碑文と一致した綴りが見つからなかったのはこのためである。

6:聖地巡礼の終わりに

ビールを飲むためにブルックリンに向かったはずだったが、図らずも、神官文字資料の詮索までおまけについてきた。聖地巡礼の恩恵を十二分に浴びた次第だ。

・・・ビールで病を治した書記トトメスは、その後、人生を全うしたのであろうか。




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